新しいこと

もうそろそろ20代も卒業だなあとちょっと自分がきた道を振り返ってみるとき、自分が成したことを具体的に挙げるのに苦労するのはぼくだけじゃあないでしょう。そりゃ研究して論文とか実験データとかは積み重ねてきたし、仕事の仕組みをつくったりマニュアルやドキュメント残したりしたってのも成果といえば成果なんすけど、それ自体が誰かの役に立ったかは不明(ちょっとはたったはずだが)だし、さらに自分がやりたかったことともいえない(それなりに自分の志向にそったことはやっているつもりだけど)。かわいそうな人ですねwと言われるのはまあともかくとして、周囲にかわいそうでない人を見つけるのが大変すぎて、こりゃやっぱ全体的に何か問題ありそうだと率直に思ってしまいますなあというわけです。

経験を積んだ自分、というはたしかにいます。知識は増えた、出来ることも増えた、まあ給料も増えた。だからハッピーといえばそれはそうだけど、大学で研究室配属されてから社会人になって10年近くの年月、仕事と呼ばれることをしてきたのに残した成果に自信がないというのは何か間違いがあったのではと感じるぐらいが生き残るパラノイアって気がします。40歳になったとき今と同じ感想を持つようでは困りますからね。(自分のことと周囲のことがマゼールになってきてるけど気にせずサキエル

仕事の中身の問題は大きいと思います。研究にしろ戦略企画にしろ新規事業にしろ、新しいことをやるっていうのは雲を掴むような話が多くて、途中でテーマが棚入れしたり、エンドが何年もあとだから結果がでるまで時間がかかるからほんの10年ぐらいじゃ成果なんかでないよということはあります。学校の先生とか、営業さんとかやってたら、確実に目に見える成果が残るよなーと隣の芝が青く見えることはあります。(でもゴルフ場でキャディのバイトしてたけど、その時お客さんに役立ったことが自分の成果とは別に思わない件)

成果の大きさの問題でしょうか。宇宙研にはいってロケット飛ばすのに携わればきっと・・!とか言い出すようじゃもうねという感じですけれど。

その時その時の目標に向かう努力、一生懸命さが足りなかったから成果にも満足出来ないのだという指摘に返す言葉はありません。死にそうになったことはないわけではないけど、それでも十分だったかは”?”です。まあ、自分の満足度で自分の成果の価値が上下するというもの微妙な考えだと思うので、とりあえずこれはおいときましょう。

話をもどして、僕の仕事の中心にある「新しいこと」の捉え方がどうも間違っているのではないかと思うわけでして、これは墨の場合は大企業にいて新しいことをやるとはこれ如何にという話ですが、続きはまた今度。