くやしい気持ち

動画サイトで昔の競馬のレースを見てました。タマモクロスの追い込みの時の顔とかミホノブルボンダイワスカーレットの強い勝ち方とか、いいものは何度見てもいいすよねえ。早熟とか晩成とか、ダビスタやってた頃のことを思い出したりしながら、自分ってのはスティールハート産駒型?ノーアテンション産駒型?みたいなつまらないことを考えて、まあ大器晩成型だという思い込みをあえて否定する必要はなにもないっすからねえ。

ダビスタが流行っていたころは日本は普通にけーば後進国で、まあ今でも生産規模も馬のレベルも差があるけれど、それでも凱旋門賞キングジョージで勝ち負けする馬が出てきて、海外G1の勝ち馬もたくさんでるようになった。欧米に追いつき追い越すという目標に少なからず近づいている。名誉のためにチャレンジする精神、馬場の違いや輸送の課題などを解決する技術、海外馬の血を日本に持ってくるお金、まさにヒト・もの・金、それぞれの観点で最大限の努力がなされた歴史が日本競馬にはあるんだなあと思うと、その歴史を振り返ったときの感動もひとしおです。

何でも会社の話になって恐縮ですが、マネジメント系の仕事をしていると、どうしてもリソースを”配分”するという姿勢が身についてしまいます。選択と集中して、効率的にリソースをつかって上手くやって楽をするみたいなことが当たり前にいいことのように思えてしまう。でもそれはある枠のなかでモアベターなやり方であって、枠をブレイクスルーするやり方じゃあない。大きな目標、長年かけて目指す何かを実現するやり方じゃあない。まあこんなの、ありきたりな話ですが。

それでも、イノベーションがどうとか新規事業がどうとか、中国やらに負けるのは構造的に必然みたいなことをいうわりには、やることはリソース管理の域をでない経営が現実に行われ続けているんだからどうしようもない。ルドルフが海外で惨敗した、オグリが海外の牝馬に負けた・・みたいな心の底から悔しい経験をしないと、一致団結した目標なんてもてないのだろうなあとは思うんですけど、うーん、日本企業が全部外国資本になっても給料もらえるならそれでいいやという世界でもあるから、こればっかりは。