銀メダルかあ

金曜会社を休めず録画で男子フィギュアを見ました。動画サイトを巡回しても見つからずちょっと困ったけれど、NHKのサイトに演技ごとにまとめておいてあります(ランビエールとかも、高橋大輔は大舞台で弱い日本人というこれまでの概念を覆す内容でしたね、すごい)。動画サイトで検索というのに慣れてしまって、公式を使うことを忘れるなんてなあ。んで、プルシェンコの演技がいまいちというのをネットで見ていたけれど、そんなにいうほど悪くないじゃんねえ。これで金を取れないのは本人も本音で不満なんだろうなと思いました。4回転の話はねえ。2つあって、4回転を飛ばないと金メダルがもらえないというのはオカシイというのと、4回転以上のことを成し遂げていくことが競技としてのフィギュアに必要だということの両方から考えるんだろうねえ。1つめについては、4回転を飛ばないにしても、ジャンプの要素を増やす(増やすメリットを与える採点ルールにする)とか、SPと重複する要素には加点しないとか幅広い議論をしていけばいい。2つめについて、こっちが特に焦点になると思うけどこれは、4回転を跳ぶことが大事だとほぼすべての競技者が暗黙に理解しているはずなのに、それでもあなたは勝つために五輪の舞台で採点方式に迎合しますか?ということだろうなあ。まあそのへんはファンとして思うことをブログに書くぐらいで十分で、具体的には当事者が考えることですが。


オリンピックの具体的な話とは別に、一般論として、ルールにそって最大価値を追求することは正しいように思えます。でもルールはあくまでルール。ルールに従っていればすべてが良くなる(もちろん良くなるというのは、過去に退行しないとか、システムが固定化しないという意味です)訳ではない。特にルールの誤りに現場の人間が気づいているとき、その誤りを放置して、ルールの中で上手いことをやるというのは、無知以下です。そんな、ルールの誤りに気づいた現場の人がルールを変えるにはどうすればよいかという話、会社の中で結構よくあります。大抵は、現場の人はルールを変える立場にいないのだから、諦めるべきとなってしまうけど、諦めないで本当に将来のためにがんばれる人もいる。そしてそのやり方は、ルールを破るというより、ルールを変えざるをえなくさせるような成果を、ルールを守った上で出していくということなんだよね。そんなことを引き合いにして、やっぱり、人間というのはルールと言う枠組みのなかでの結果ではなく、現場の当事者として目指すべきものを追求しなければならないと思うし、ましてや五輪に出るような人なわけだしと感じてしまうなあ。


誰もが幸福になれるシステムを持ちえない人間と社会について、自由があり、規制があるルールの中で、いつでも目指す姿を想像することができるものであり・・などと、そういうことなんだろうね。