面接がある

会社で面接があるというので、そのための資料づくりをしている。就活的な自己PRとかなりたい自分とか、そういうものを書かなければいけない。相手はあなたのことが知りたいという。しかし相手が聞きたいのは、土日ずっと寝てましたとか、昨日はアイドルグッズをゲットするためヤフオクに張り付いてましたとかそういうあなたではなく、会社に貢献していけるあなたのことだ。もちろん会社に貢献できる私がいるからこそ、会社で働いてお金が貰えるわけである。もっと貢献できるからもっと金くれ、もっとでかい仕事させてくれということを理解してもらう場が面接である。このことがごもっともである一方で、ああぁと思うこともある。自分のこれまでの仕事を今の給料で値踏みされ、そこを起点として次の仕事と次の給料が決まるプロセスは、自分に現実を思い知らせてくれる。結局自分の売り物とは労働と成果だけであってそれだけを会社は買ってくれるという現実である。労働と成果以外の自分の中にある萌芽的な微妙なあれこれこそが自分の本質を構成する要素だと信じていたとしても、そんなものは伝わらないし届かないし他人には分らない。あなたのすべてを受け止めてあげます、こっちで全部再構成して理解してあげますというのは、面接官が家族か親しい友人のときぐらいだ。適切な人間が経済的に可能な時間で人の表面的な部分を評価するのがよいか、数少ない人間が長いおつきあいのすえに人の本質的な部分を評価するのがよいか、まあこの言い方は両極端すぎるのだけどもう少し中間的な選択肢があると世の中の幸せの総量が増えるではないかなあと。そんなことを思いながら、せっせと会社に貢献できる自分を妄想しているところだけど、マクロスの歌がまだ頭から抜けきらない。