マクロスの続き

その昔、古き良き時代の評論家竹中労が、日本の流行歌は美空ひばりビートルズ琉球歌謡のどれかで語れると言ったわけで、「愛・おぼえていますか」は多国籍音楽っぽいアイドル歌謡だけど、いわゆるオリジナリティ的なものはないわけです。しかしながら、オリジナリティなんてなくても胸を張って夢といえること、一生の夢に値することなんて、いくらでもそれこそ人それぞれにあるわけで、そのへんのメッセージが映画版マクロスからよく伝わってきます。オリジナリティがない世代と言われる僕(とその前後)の世代がへたにまじめにオリジナリティを追求し続けてなんかうまくいかなかった(夢が見つからない的なことも含め)というのは、ダメな日本になった理由の一つだと思うとき、これからのリーダーに求められる役割も今とは少しは変わってきそうなもんです。寄せ集めでつくるブリコラージュ、組み合わせによるイノベーションというのはプロトカルチャーとは違うものかもしれないけれど、マクロスにおける「愛・おぼえていますか」までのこの作品の組み合わせの妙には、何かしら素敵な呼び名をつけてあげたくなるぐらいではあります。

ところで少し話しが変わってしまうけれど、文化ってなんだろうかと考えた場合に、例えば歌を届けるための下準備的な文化的とはいえない作業(要はビジネス)とは何だろうとか、歌を作った本人にとってその歌とは文化と呼べるものなのだろうかとか思うわけです。ここで前のエントリで書いた西洋人だの東洋人だのという話しに少しだけつなげることができて、人が生み出した”それ(文化)”とは、生み出した人の所有物なのか、それとも、生み出した人の手を離れて社会の所有物になるのかという文化の所属の違いにつっこむことができそうです。結論だけいえば前者が東洋的、後者が西洋的であって、じゃあ東洋的な文化とは?西洋的な文化とは?という文化論になっていくわけですね(googleで有名になった著作権法の話題もリンクできそうです)。マクロスで描かれている文化は間違いなく西洋的な存在であり、要はリン・ミンメイの歌が凄いというのではなく、リン・ミンメイを生み出したマイクローンたちが凄いという算法です。マクロスは日本のアニメですがやや西洋かぶれな内容を含んでいるなと思いつつ、それは西洋社会への憧れやきたる未来社会の普遍的な姿として捉えたものを素直に表しているのだなと思うわけでありました。(乱文)