組織のカベって・・

会社で業務改善に取り組んだことがある人は経験がおありかと思いますが、組織の抱える課題に「組織のカベ」がよくあげられます。組織のカベがあることで例えば他部署が持っている情報にアクセスできなかったり、自部署の利益を優先する部署があったり、まあいろいろと会社の中で非効率な状態になっているというわけです。とはいえ組織のカベは実は必要です。必要悪といったほうがよいでしょうか。企業は内部の専門性を多様化させるために、企業内に小さな共同体をたくさん抱えそれぞれの共同体独自の論理で仕事をやらせることで、専門性を先鋭化させる必要があるからです。専門性のことと共同体間のコミュニケーションのことは話が別だと思われる方は理想的な見方をしすぎでしょう。ずっと昔から人間は組合的なものを作ってその中で仕事をしてきました。人間は常に小さな共同体と大きな共同体の両方を意識しながら、自分の仕事を小さな共同体の中で見つけているのです(天才以外は)。

社会という枠組みで考えても同じです。企業という小さな共同体と地域や国という大きな共同体があったとき、豊かな国になるべく生産や価値創出において多様性を求めるなら、企業同士はある程度利害相反するエコシステムの中で、それぞれの企業が自分のために利益創出につとめる必要があります。一消費者の短絡的視点からすれば、私鉄の乗換えごとに初乗り料金を取られたり、ゲーム機のハードをいくつもそろえたりするのは無駄なことに思えますが、多様な企業の存在を支えることがその産業での新しいイノベーションに繋がると考えれば無駄な出費とはいえないでしょう(どの会社も同じような商品しか出さなくなったならその産業はイノベーションが枯れているのでとっとと一つの会社に集約されたほうがいいですが)。

会社の話に戻ると組織のカベのはなしは分業論になるわけですが、とりあえず思うのは個人としての分業と組織としての分業はある程度別モノと捉えたほうがよいだろうなということです。それぞれの分業のレイヤーというのでしょうか、個人の動き方と集団の動き方の違いを考えた上で「組織のカベ」を課題と捉えるかどうかを決めなくてはなと思います。インターネットもそうだし分業のシステムの高度化もそうでしょうが、なんとなく個人が個人として仕事ができる気分になってきたこの頃ですが、まあそれはそれで(個人としては就職先が流動的であったほうがよくても、いつでも転職可能な社会設計になったらどうなるのかと思います。一時的にバブルがきたような業界にばかり人が集まって、人気がなくても社会に必要な産業には掃き溜めのような人材しか集まらなくなったらこれは社会にとって損失です。流動化しても上手くいっている国があると言われるかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか。)多様な組織の存在こそが分業のシステムを支え、価値創出の源泉になっていることも忘れられません。

終身雇用も、会社内における持続的かつ多様な専門部署の存在のために必要な制度でした。それはまず理解すべきとは思います。とはいえ、会社として国として多様性を保つためとはいえ、個人が好きな仕事に就けずやる気を失ったり、終身雇用の弊害で新規の正社員採用が減り、特に衰退期に入ってしまった割を若者が食っている現状を何とか変えていかなければならないと思いますし、グローバル化の中で世界と戦うために稼げる業界に優秀な人材を揃えなきゃならないのだからそのために多様性が犠牲になっても仕方ないというもの否定できない。そのために、業務の標準性と独自性、個人と組織の分業、そして積極的な死の仕組みなど(なんのこっちゃでしょうが気にしないで(汗))に基づくガバナンスのアイデアが必要です。業務改善のためにやるべきは組織のカベの問題点を上げることではなく、建設的な仕組みの提案です。