ナンセンス〜

人は自分は何のために生きているのか?という問いがつまらないとは思わないけれど、その問いに正確に答える言葉などないことが大人になればわかる。大人は動的かつ複雑でありつづける外部環境のなかで自分というものを定めることが不可能であることを理解し、定まらない自分が特定の目的など持ち得ないことを納得するからである。定まらない自分を自ら許容することはあきらめである。子供から大人になるとき、自分が自分というものを決定することをあきらめていく過程において、自分は何のために生きているのか?と考えるのはとても自然な成長プロセスと思うから、この問いがつまらないこととは思わない。しかしその問いに答えることに固執しつづければ、人は何時まで経っても子供のままだ。

それでも自分が何者かが全く分からなくなってしまわないのは、家族や友人という生涯変わらず大切なものがあるからだ。仕事やお金でもいいけれど、大切に思うものを守りたいからこそ自分が自分でいられる。自分で自分のことを決めつけて子供の殻に閉じこもるのはナンセンスだけれど、大切なことを見つけられず世の中に流されるだけで「仕方がないね」が口癖の大人もまたナンセンス。まあそんな難しく考えなくても当たり前にみんなわかっていることだと思うけれど、知識社会は2つのナンセンスな人種を産んでいる気はする・・って「書を捨てよ町へ出よう」みたいな話。

生きることに直接ぶつかるような問題に直面したとき、ナンセンスな決断には後々本当に後悔させられるのだ。気をつけよう。昨晩、狙ってた中古物件の不動産が他の人に買われたのを納得するためにこんなことを書いているわけでもないのだけれど。