超時空要塞マクロス

ずっと昔は世界中、封建的な社会でした。でも西洋と東洋ではその中身が違っていました。神の信託を受けた国王による統治を受け入れた西洋人と強いものが統治することを当然とした東洋人、ソクラテス的な議論を論理的とした西洋人と孔子的な先生と生徒の関係をあるべき姿とした東洋人。利己的か利他的かという分け方もあります(情けは人の・・みたいなこともあるので一次的に人がどう振る舞うかというレベルの話しですが)。ともかく、長い歴史が過ぎて結局のところ、封建的な社会に経済力(軍事力や科学力も)というパワーを付け加えることができたのは、西洋人でした。民主主義、自由経済がマクロ的な豊かさを確実に実現したのでした。強いだけの統治者や孔子的な思想から、(少なくとも)物質的に豊かな世界は実現しませんでした。(単にこの1000年ほどの間の東洋世界にアダム・スミスやルソーのような人が現れなかっただけかもしれないし、日本で言う宮沢賢治福沢諭吉がそうだったかもしれませんけれど。)グローバリゼーションが進み、マクロ的な経済力が社会に今まで以上に影響を与えるようになり、このまま東洋人が東洋的な思想を持ち続けたまま世界と戦い続けられるのかというのは大きな命題だったはずです。中国人は欧米人より西洋人らしく振る舞えるようになったそうですが、一方日本人はなんだか多様化しすぎてどういう国民性なのかがよく分からなくなります。戦い続けるだけの生き方はいやだけど、豊かさの水準は落としたくないという大多数の堕落が、命題への対処の先送りにつながりいずれ財政破綻清算される、なんてこともあるのでしょうか。戦いたくない人のための戦いが創造力のことでその象徴がコンテンツ産業だと思ってバンダイやハドソンで働きたいなーなどと思っていたことも自分史にはあったわけですが、そんなことをリアルには口走りにくいというのも寂しいものです。

ぐだぐだ長い前置きでしたが、初代マクロスを見終わりまして上記のようなことを何故か書いてみたくなったりしたのでした。SFというよりファンタジー作品であり、男の子より女の子のほうが分り易い話しなのかもしれなく、そして中盤は正直見続けるのが辛いほどで(並行してみているキングゲイナーを先に見たくなったり)、作画的にも二元論的なストーリー展開もきついのだけれど、個人的にはミンメイに感情移入して楽しめたのと、コレ何かが凄いぞっていうよく分からなさ、クライマックスシーンはCG絵とは迫力が違うし、後世の作品への影響も垣間見え、総合すると総ウケといえる内容でした。まあ、見といて良かったと。